27 12月 09

摂政(せっしょう)のとき、日本から隋(581~618)に派遣された公式の使節。

600年に始まり614年まで前後6回に及ぶ。

ただし、600年(推古天皇8、隋の開皇20)と610年(推古天皇18、隋の大業6)の2回の使節派遣などは『日本書紀』にその記載がなく、それぞれ『隋書(ずいしょ)』東夷(とうい)伝・煬帝(ようだい)紀に記されており、遣使の史実性に疑義がもたれている例が多く、ほかに3回説、4回説、5回説がある。

また、600年の遣使は「姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)」が使者を派遣したとあり、この人物をだれに比定するかについて従来より諸説がある。

すなわち推古(すいこ)天皇と舒明(じょめい)天皇(息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと))とを混同したとする説、小野妹子(おののいもこ)が孝昭(こうしょう)天皇の皇子天帯彦国押人命(あめのたらしひこくにおしひとのみこと)を出自とするということからそれと推古天皇との混同説、あるいは聖徳太子とする説などがある。

会計事務所 インテリア ミラー




カテゴリー: 聖徳太子・遣隋使・歴史

Trackback Uri