21 1月 10

政治家で宗教的思想家。

厩戸(うまやど)皇子、豊聡耳(とよとみみ)、上宮(かみつみや)王ともいう。

父は橘豊日(たちばなのとよひ)皇子(用明(ようめい)天皇)。

母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が、池辺雙槻宮(いけのへのなみつきのみや)の庭を歩いているとき、厩戸の前で皇子を出生したので「厩戸」の名がつけられたという。

明治時代の歴史学者久米邦武(くめくにたけ)は、キリストの生誕に類似することに注目し、唐の都長安(ちょうあん)に流行していたキリスト教の一派景教(けいきょう)(ネストリウス派)の知識を天智(てんじ)・天武(てんむ)天皇のころ大唐学問僧が日本に持ち帰り、太子の誕生説話に付会したのであろうと推定した。

「豊聡耳」の名は、太子が聡明(そうめい)で訴訟裁定に優れた能力をもつことにちなみ、「上宮」の名は、その宮が父用明天皇の宮の南、上宮の地にあったことによる。

カテゴリー: 聖徳太子・遣隋使・歴史

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27 12月 09

摂政(せっしょう)のとき、日本から隋(581~618)に派遣された公式の使節。

600年に始まり614年まで前後6回に及ぶ。

ただし、600年(推古天皇8、隋の開皇20)と610年(推古天皇18、隋の大業6)の2回の使節派遣などは『日本書紀』にその記載がなく、それぞれ『隋書(ずいしょ)』東夷(とうい)伝・煬帝(ようだい)紀に記されており、遣使の史実性に疑義がもたれている例が多く、ほかに3回説、4回説、5回説がある。

また、600年の遣使は「姓は阿毎(あめ)、字(あざな)は多利思比孤(たりしひこ)」が使者を派遣したとあり、この人物をだれに比定するかについて従来より諸説がある。

すなわち推古(すいこ)天皇と舒明(じょめい)天皇(息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと))とを混同したとする説、小野妹子(おののいもこ)が孝昭(こうしょう)天皇の皇子天帯彦国押人命(あめのたらしひこくにおしひとのみこと)を出自とするということからそれと推古天皇との混同説、あるいは聖徳太子とする説などがある。

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